
2001/07/31
| レイラインと地震光 |
世界各地で見られる謎の発光現象は、大地を貫流する未知のエネルギーの為せる技か!?
1921年6月のある日のこと、イギリスのヘリフォードシャーに住んでいたアマチュア考古学者アルフレッド・ワトキンスは、夏の暑い日差しの中、郊外を歩きながら見慣れた風景を眺めていた。ブレドワーダインの丘を通りかかったとき、彼は驚くべき光景に気がついた。彼の言葉を借りれば、“祖先の記憶の洪水”が押し寄せてくるかのように、いつも見ていた風景がまったく違って見えたのだ。彼の眼前に広がるのは、燦燦を照りつける太陽光にあぶり出され、くっきりと浮かび上がった一本の荘厳な道だった。と言っても、ただの道ではない。太古の遺跡やマウンド(塚)、人工の丘、由緒ある教会、十字架や古い十字路などをまるで鎖のように線で結ぶ古代の道だったのだ。
その規模も並ではない。古代の道は遥か遠くの尾根や川の堤や塚を貫き、見渡せる限りの山々へと伸びていた。自らの体験に衝撃を受けたワトキンスは、以後、太古の道の研究と新たな道の発見に没頭。直線の道のことを「レイ(Ley)」と名付けた。ワトキンスによれば、直線上の地名の多くに「LEY」「LAY」「LEE」「LEA」「LEA」あるいは「LEIGH」といった語尾がついていたからだという。研究者によっては、ライン、地卜線、あるいはアラインメントなどと呼ばれたりしているが、一般的にはレイラインという呼び名がもっとも知られ、定着した感がある。イギリスやヨーロッパのあちこちを一定の規則性を持って配列された先史時代の直線――それがレイラインである。
ワトキンスには先に述べたアマチュア考古学者としての顔の他に、多くの顔があった。学校卒業後、父親の醸造会社の代表となり、商人として名をなす一方で、風景写真家としての才能もあり、ピンホール・カメラを発明した。また地元の治安判事も務めるまぎれもない名士だった。そのためか、ワトキンスは小さな町での自分の評判を気遣って、当初、レイラインの発見のことは誰にも話さなかった。その代わり、国土測量部の地図を用意し、定規を片手に、自分の直感の確かな裏づけを求めようと詳細に調べてみた。遺跡を探索し、地図上にその正確な位置をマークすることから始めたが、その作業は彼にさらなる確信と興奮を抱かせるに至った。
地図に記入した直線はイギリス国内あらゆる地域の古代遺跡を貫通し、同一直線上に10個以上の遺跡がマークされることも珍しくなかったからだ。彼のレイラインに対する信念はもはや確固不動のものとなっていた。さらに、同一の作業に3年を費やしたワトキンスは、研究の成果を『Early British Trackways(初期イギリスのわだち)』と『The Old Straight Track(古代の直線のわだち)』の2作の著書に詳述し、世に送り出した。後に多くの問題を提起し、数々の解釈を派生し、学者間でも賛否両論を呼んだレイライン仮説の出発点であった。2冊の著書が投げかけた波紋は、数学者、天文学者、地理学者、歴史学者などを巻き込む大論争に発展した。
◆イギリスの巨石建造物
イギリスには先史時代に遡る無数の巨石遺構が現在も存在する。もっともよく知られているものはソールズベリーの広野にそそり立つストーンヘンジだ。ストーンヘンジはイギリスだけで約900存在するとされるストーン・サークル(環状列石)の一つで、レイラインにおいても重要な目印だと考えられている。ストーン・サークルがなぜ立てられたのか、となると実は学者の間でも諸説入り乱れており、いまだに判然としていないが、新石器時代末期から青銅器時代初期かけての人々の信仰と何らかの形で関係しているのではないかというのが、いちおう考古学会の定説のようだ。ストーンサークルの内部からときおり埋葬された人骨が発見されるため、一時、墓として立てられたのではないかと考えられたが、現在では否定されている。
人骨は後代になって、そのときすでに建造されており、神聖視されていたストーンサークルに埋葬されただけで、墓として建てられたわけではないという。筆者としては、ストーンサークルの建造目的はやはり土着信仰(ドルイド教?)の宗教的儀式と関係があったのではないかと考えている。事実、ウィルトシャー州ウェストケネットのもっとも古代に建造されたと推測されているストーンサークルからは、人骨ではなく動物の骨が多数出土しており、さらにこの辺りには何度も掘り返された形跡があることから、その場所が呪術や儀式――古代宗教の生贄の儀式に使われていたことを暗黙に物語っている。またストーンサークルの中には柱形の石と三角形の石が交互に並んで建てられていることもあるため、宗教的意義を持った男女の性的結合の場ではなかったかとも解釈される。
ちなみにドルイド教はインドのバラモン教や古代ローマ宗教との共通点が古くから指摘されており、ストーンサークルはインド・ヨーロッパ共通基語時代に遡る宗教儀礼の反映であるとも考えられる。とすれば少なくとも一部の立石は、インドにおけるシヴァ・リンガ(神を象徴する男根を象った石)と同一の起源に遡るイギリス土着宗教の独自の発展形態であり、ストーンサークル(少なくとも一部)は神々の万神殿だったという解釈も成り立つだろう。石を使った古代の遺跡としては、ストーンサークルの他にもモノリス(あるいはメンヒル)やドルトン、ケルンなどが存在する。モノリスとは一本の未加工の長大な石を墓前などに記念物として建てたもので、ハンバーサイド州ブリドントン近くの教会の庭にそそり立つ高さ7.7メートルのラドストン・モノリスなどが有名である。
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| ラドストン・モノリス | ドルトン |
ドルトンは古代の墳墓で、方形の板石に1枚の天上石を乗せ、石室としたもの。ケルンはもっと単純に石を積み上げて塚としたものである。どの遺構も先史時代に遡る建造物で、イギリス全土に点在している。イギリス政府の公式図に載っているものも多いが、小さなものは公道の邪魔になるとして破壊されたり、生垣に埋もれたり、後代に十字架に作りかえられていたりするため、発見しにくい場合も多いという。これら巨石建造物はレイラインの重要な目印となっている場合が多い。さらに、先史時代の集落跡や円形の塚、城や初期の教会などもレイラインの目印だと言われている。円形の塚はイギリス国内に限って言えば、ゆうに2万個前後にも達し、中でもドーセット州ウィンターボーン・アバスの群塚は多くの塚が1箇所にかたまったものとして有名である。
これらの塚は、土や石灰が盛られている場合が多く、大きいものだと長さ数百メートル、幅30メートルに及ぶというから驚きだ。その他、教会もレイラインの目印と考えられているが、これは古代からある異教の聖堂がキリスト教の教会に改築されたり、その跡地が教会の場所に選ばれたケースが多いという歴史的経緯によっている。被征服民を従順に従わせるためには異教の聖堂を教会に改造し、信仰心を利用する方がはるかに効果的だったからだ。ストーンサークルの中央に建造されたドーセット州ノールトンの教会などはそのことを端的に物語っている。さて以上、レイラインの目印となるイギリスのモニュメントを概観してみたが、レイライン研究家がもっとも関心を持つ重要な問題にはまだ答えていない。すなわち、古代人がレイラインを作った目的である。
◆レイラインの意味するもの
レイラインの発見者アルフレッド・ワトキンスは自著の中で、その作成目的について次のような推測をしている。いわく、レイラインは古代の商業路であった。古代の遺跡は、ローマがイギリスを侵略するはるか以前に、古代フリント人が安全に旅を続ける手助けをした里程標あるいは中継地だったのであり、レイラインは直線道路のネットワークの役割を果たしていたのだという。しかし、一般的疑問として単なる直線道路を欲していたなら、あれほど巨大なストーンサークルや円形の塚を築く必要性はないといえる。極端な話、方向と距離を記した立て札を数キロの間隔で立てかけるだけで十分、いや巨石建造物に費やされる時間や労力のことを考えれば、はるかに現実的であり且実用的であろう。
またレイラインの多くは迂回すればすむような急な山や沼地、深い川などを突っ切って延々と延びている。このことを考えただけでも、レイラインは遺跡から次の遺跡へと人間が徒歩で歩いていくような用途は最初から考慮されていない、すなわち人間の利便的目的で作出された商業路のようなものでなかったことは明白なのだ。こうしたことから、レイラインの存在自体を疑問視する声も根強い。地図に無数の直線を引けば、方角に関係なくレイハンター(レイ研究者)が重視する古代史跡あるいは意図的に聖地とされたポイントにぶつかるのは、統計学的に見ても当然のことだという。考古学者たちの多くはレイラインなど何の根拠もない地図と定規を用いた子供のお遊びに過ぎないと一蹴する。しかしその一方で、レイラインには偶然では説明できない幾何学的配列や一定の法則が読み取れると主張する者もいる。
オックスフォード大学のアレキサンダー・トム工学名誉教授が1967年に発表した研究報告によると、イギリスとフランスの600以上の巨石遺構を氏が調査した結果、これらは先史時代に遡る驚異的に正確な工学技術を用いて、一定の配列に従って作られたと結論づけている。トム教授はその法則は天体の配列と関係し、測量の基本単位として、現在の81センチに相当する“巨石ヤード”が使われていたとも報告している。これとは別にジョン・ミッシェルが『地の果ての古代の石』の中で、レイラインについて詳細なコンピューター分析を行っている。ミッシェルは先史時代の遺跡と判明しているコーワル州の53箇所を調査し、それらの間に、彼の言葉によれば“ライフル並に精確”な22本のレイラインが走っているのを発見した。
各ポイントは肉眼で識別できる正確な直線上に並んでおり、その後のコンピューター分析の結果でも、ミッシェルのリストのうち2箇所以外はすべて立証されている。しかし、いずれにせよレイラインの作出目的がはたして何処にあったのか、もっとも重要な問題が解明されていないことには変りない。中にはレイラインの地表に網の目のように張り巡らされた、未知のエネルギーの道が存在し、そのエネルギーの集中ポイントを敏感に感受する力があった古代人が、そこに宗教的儀式を行うためのモニュメントを建造したのだと考えている人もいる。中国の風水と結び付けたり、地表には人体の経絡系に類似した気の流れが存在するのだと主張する者も存在する。しかし、抽象的で漠然としたエネルギー概念や気を持ち出すだけでは結局問題に最終的な決着をつけることは不可能だろう。
このような明白な根拠や証明力を欠如した神秘主義的解釈がレイラインを純粋に考古学的な研究対象から乖離させた元凶ともなっているのは否めない。とはいえ、レイラインにオカルト的解釈が出てくるにも一つの理由があるのだ。レイライン上で数多くのUFOの目撃報告があるのである。一例がウィルトシャー州にあるクレイヒルで、レイラインの交差ポイントであると同時に、UFO目撃の多発地帯でもある。1979年には、さらに興味深い報告がなされている。レイハンターのポール・デビローが、レイライン上のキングストーンの遺跡を赤外線フィルムで撮影したところ、もやのような不思議な気体が写っていたのだ。翌年にも彼は同じ遺跡で同様な現象の撮影に成功している。彼はもやの正体は不明だが、不思議な力が地上に放出されているのではないかと主張している。
◆地震光の謎
日本は言わずと知れた地震多発国である。多大な被害をもたらし、多くの人命を奪った阪神・淡路大震災はいまだ記憶に新しいだろう。実は阪神・淡路大震災が起こる直前、不可解な発光現象が広範囲にわたり目撃されていたことが報告されている。“地震の直前オーロラのような光を見た”“六甲山が発光していた”“空が、まるで電気が漏れているようにような感じで光っていた”“海面がフラッシュのように一瞬光った”“空が赤紫色に光り輝いた”地震活動に伴なう同様な発光現象は古くから報告されており、一般に地震光と呼ばれている。日本は地震多発国ということもあり、地震光は地震の前兆現象として畏怖の対象であると同時に大きな関心の的となり、他国より詳しく研究されてきた。
地震光の研究者である武者金吉氏は『日本地震資料』を編纂し、その中で、1930年11月26日に伊豆半島で起きた地震の際、多種多様な地震光が発生したことを、1500人以上の目撃証言から明らかにしている。“雷の光と似ているが、持続時間がそれよりはるかに長い閃光を見た”“地平線のある一点が、オーロラのように流れる光を発した”さらに、震源地に近い目撃証言には“光線や柱のような垂直な光を見た”“火の玉や一直線に並んだ球状の光を見た”という報告もある。同様に、1965年から1967年にかけて、長野県松代町で起きた群発地震の最中にも、地震に伴なう大気の発光現象、すなわち地震光が目撃され、カメラで撮影されている。
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| 1878年3月にフランスのアルザス地方のロジェルバシュでおきた地震光のイラスト | |
むろん、地震光は日本の専売特許ではない。1957年、イングランドのレスターシャー州チャーンウッド・フォレストを襲った大地震の際には、その直前、空に“オタマジャクシのような形”の光が飛んでいるのを大勢の住民が目撃した。同じく1961年、カリフォルニア州ホリスターで起きた地震では、山腹のあちこちからフラッシュのような光が連続的に現れたのが目撃され、後に現場の調査が行なわれたが、発光現象の正体は何も分からなかったという。ちなみに、地震の際に山頂や山腹が光ったという山の発光に関する報告は無数収集されており、地震と密接な関係があるが、ときには地震活動が伴なわないときにも観測されることがある。一例が、中国山西省にある五薹山である。ここは古くから定期的に発光現象が起こることで知られ、空中に無数の火の玉が舞い飛んで見えることも珍しくないという。
地元の僧侶たちはこの光が山自体から発せられることを理解しているが、昔の人々は火の玉を菩薩の出現と信じ、光を拝むための展望塔を建て聖山として敬ったという。五薹山ほどではないが、同様の放電現象は世界各地で観測されている。特に南米アンデス山脈の目撃報告が多い。チリでは、晩春から初秋にかけて、山の周囲が突発的に巨大なサーチライトの光線のように輝き出すこともある。地震光、山の放電現象は、どちらも数百年前から目撃されつづけ、信頼できる情報が頻繁に寄せれてきたにも拘らず、これまであまり科学的調査の対象とはされてこなかった。こうした発光現象自体、まだまだ未解明な現象で分からないことが多かったからだ。しかし近年、地震の前兆現象に関する情報収集や実質的・科学的研究が進展し、ある仮説が浮上することで、徐々にだが科学者たちの関心が高まり、その存在もほぼ認められてきた。
読者の多くは地震の前兆現象の一部が、あるものと非常に似通っていることに気づいたはずだ。世界各地で見られる謎の発光現象、天空を不規則に動きまわる不気味な光体――未確認飛行物体「UFO」である。UFO出現スポットの多くは、地震多発地帯や断層線、放電現象が起こりやすい山の周囲と奇妙にも一致する。いや、むしろ当然というべきか。UFO(未確認飛行物体)というと反射的に異星人の宇宙船を思い浮かべる人が多い。そのような未知の存在をむやみに否定するつもりはないが、すぐさまUFOと結び付けるような固定観念は払拭した方がよい。純客観的に見れば、UFOは不規則な動きをする謎の発光体に過ぎず、そこに高度な知性や科学技術を想定する必要はないのだ。実践的な研究が進んでいる海外では、むしろUFOは一種の特殊な自然現象であり、地質内部に原因があるのではないかと考えられている。
◆圧電現象とレイライン
フランスのUFO研究家フェルナンド・ラガルドは、1954年にフランスで多発したUFO事件を調査し、目撃報告を整理した結果、「UFO目撃事件は、断層の上で頻発している」と結論している。また1968年から1969年にかけて起こったスペインのUFOフラップを調査した研究者たちも、大多数のUFOが、断層線上かその付近で目撃されていたことを見出している。『時空で起こる瞬間的、突発的出来事』を書いたマイケル・A・パーシンガーとジスレーン・F・ラフレニエール、著書の中で、UFOは地質内部に起因する発光現象である可能性が高く、強震はもちろん弱い地震であっても、地震に見舞われた地域では、圧電現象によって、地質の断層線の近くの大気が電気を帯び、様々な放電現象を引き起こすのではないかと主張している。
イギリスではUFOと断層線の相関関係についての広範囲な調査が幾度か行なわれた。その際、調査の対象となったのがUFO多発地帯のレスターシャー州である。レスターシャー周辺は地震多発地帯でもあり、記録に残っているだけでも16世紀から幾度も地震に見舞われてきたことが判明していた。特に、州北西部のチャーンウッド・フォレストには断層が走っており、古代にできた岩石が露出して地面はごつごつしている。この地に残る1659年の記録には「不吉な雲が稲光を発し、すさまじい雷鳴が轟いたが、雨は落ちてこず、しばらくして異常な形のあられが嵐のように降ってきた。小銃を発射したような大音響が大地を揺るがし、火山が噴火したかのように地上すれすれのところを“巨大な火の玉”が飛び交った。火の玉は樹木をなぎ倒し、民家を破壊した」とある。
18世紀には同じチャーン・ウッドで“矢のように激しく動く”異常なオーロラが観測され、村の上空の至るところで、なんと9年間にわたり四季を問わず目撃されたことが、地元牧師の日記に記されている。近年では1975年、やはりチャーン・ウッドのバーウェルで、直径1メートルほどの大きな火の玉が村の通りを飛びはね、最後は民家にぶつかって破裂したことが記録に残っている。火の玉の正体はおそらく球電光だったと考えられる。しかし、それだけ膨大な電気エネルギーがはたして地殻のひずみだけで生じうるものなのか、生じたとしても光球を長時間持続させるための電荷はどこから供給されるのか。まだまだ未解明な部分も多い。しかし、厳然として存在する否定できない事実がある。科学的データではなく、調査によって判明した統計的データだ。
断層線とUFO目撃事例との間に明らかな相関関係が証明されたのである。1972年から1976年にかけて行なわれた調査結果をもとに、収集された詳細なUFO目撃報告と地質データを照合。すると、地震や異常現象は、州西部に走る断層の本線にそって起こりやすく、UFO事件と地質の断層パターンが驚くほど似ていることが分かったのだ。こうしたデータを受けて、UFO=アースライト説(地殻の歪みによる磁気的・電気的要因が発光体を形成するとする説)は一躍脚光を浴びることとなる。さらにイギリスではUFOは特殊な自然現象であるとの見地に立ち、レスターシャー州での調査をさらに拡大した綿密な再調査が行なわれた。1904年から1977年までの73年間の記録から、アトランダムに19年間の記録を選び、サンプルとして800件を超えるUFO事件を抽出。
その事件現場を可能な限り正確に、イングランドとウェールズの地図に記入した。さらに、これを1平方キロあたりの人工密度のデータと重ね合わせ、イングランドとウェールズのUFO事件を人工密度の面から把握できるようにしたのである。この地図を地震の分布図と比較した結果、驚くべきことが判明した。両者が全般的によく似た分布状況を示し、UFO目撃事件と地震の震源地との間に明らかな相関が見つかったのだ。実は、科学的実験の上からも、従来UFOと考えられてきた発光体が、地中で形成された光である可能性を裏付ける結果が得られている。1981年、コロラド州デンバーの鉱山局に所属するブライアン・ブレイディ博士は、花崗岩でできたコアに一平方インチ当たり三万二〇〇〇ポンドの圧力をかけ、これを粉砕するという実験を行った。
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| 実験で再現された地震光の写真 |
すると、圧力に耐え切れず岩芯が砕けるその瞬間、小さな光球群が岩芯から生まれ、圧搾室内に飛び散ったのだ。光球は稲妻のように光ったり、ホバリングしたり、ときには標本の花崗岩の割れ目――地表で言えば断層に当たる部分に沿って動いたりもした。博士は光球の写真撮影にも成功している。この実験が示唆するところは大きい。たとえば岩石が地震活動の影響を受けて圧縮したり引っ張られたり、断層線で岩石がぶつかり合ったり、あるいは地震が起こらなくても凄まじい力が岩石に加わることで、同じ現象がはるかに壮大なスケールで起こる可能性は十分にある。すなわち、ブレイディ博士の実験はまさしく地震光の再現実験と評価できるのだ。アースライト説はこれまで謎とされてきた多くの現象を解明する手がかりとなる。
レイラインもその一つである。レイ・ハンターのポール・デビローはレイラインの多くが断層の上に作られていることを発見している。断層上でしばしば起こる圧電現象は強力な電磁場を生み出し、条件がそろえば大気をイオン化して球電光を形成することもあるだろう。しかも、グレートブリテンを形成する地層は古生代から中世代の堆積岩で、大部分が石灰質である。石灰岩は酸性の水に溶け易いため、大地には地下水が網の目のように張り巡らされている。圧電現象が発生した際、電気の良導体である岩石は、エネルギーの大部分を大気中に放出せずに地中でアースしてしまう。しかし、光球を生み出す同じ摩擦作用が、断層線を非伝導物質で覆ってしまう――いわく“蒸気のチューブ”を生み出す場合はその限りではない。
その物質こそが水である。地震のとき気化した領域は絶縁体となり、一方電荷が発生する震源地は良導体となる。蓄積された電気は絶縁された断層面を伝わることができないため、光り輝く電荷がそのまま大気中に放出されることになる。すなわちアースライトが発生するのだ。古代人は、断層線上で起こる発光現象を目撃し、中国の五薹山で起こる山頂の放電現象を地元の人々が“菩薩”の出現と考え神聖視したように、そうした場所に巨石などを配置して聖地として敬ったのではないか。また、ミステリーサークルはレイライン上あるいはその周辺で出現することが多いという報告がある。ミステリーサークルが電磁的原因、たとえばプラズマ現象などで形成されるとする立場を取れば、これほど明解なことはない。