2000/08/31

モーセの十災(前編)

 


 1891年にナイル川東岸のアマルナで発見された“アマルナ文書”や1906年にトルコの首都アンカラの近くのボガズキョイで発見された“ボガズキョイ文書”によって、紀元前2000年から紀元前1200年頃にかけて、小アジア・シリア・エジプトで複雑な民族移動があったことが判明した。そして現在、その民族の中にヒクソスと呼ばれるセム系を中心とした遊牧民があったことはよく知られている。旧約聖書には、ちょうど同じ頃、ヤコブとイスラエルの十二支族が飢饉を逃れてエジプトに移住したことが記されており、エジプトで副王となったヨセフ(ヤコブの11男)の物語と考え合わせると、当時、イスラエル人とヒクソスが密接な関係にあったことを窺い知ることができる。

 というのも、紀元前1700年頃から紀元前1550年頃にかけて、エジプトはこのヒクソスの支配下にあったことが分かっているからだ。ヨセフを優遇した王も異民族のヒクソスだった可能性が高い。しかし、やがてヒクソスはエジプトの地から追放され、ヘブライ人も奴隷の境遇に落されることになる。そして、ここにヨセフのことを知らない新しいファラオが立てられた。彼は人民に向かって次ぎのように警告する。イスラエル人という民は、今や、我々にとってあまりにも数多く、強力になりすぎた。抜かりなく取り扱い、これ以上の増加を食い止めよう。(出1:9)エジプト人は監督を置き、町の建設や、粘土こね、煉瓦焼き、田畑の耕作などの重労働にイスラエル人をこき使った。

 エジプトのテーベにあるレク・ミ・レーという人の墓に、大勢の人間が働いている壁画が書かれているが、働いているのはすべて外国から捕虜として連れて来られた奴隷であり、その作業工程も池の底の粘土をかきとり、四角い木の型にはめ込んで、それを太陽で乾かし煉瓦にするという、旧約聖書そのままの情景が描かれている。旧約聖書の記述が決して嘘ではなかったことが分かる。イスラエル人たちは、長い間この厳しい労役に耐えていたが、やがて革命家モーセに率いられて反乱を起こし、歴史に残る出エジプトを実行することになるのである。時にエジプトを支配していた王は、年代から考えてもラムセス二世。

◆ミノア文明の滅亡

 もっとも、聖書学の年代考証も当てにならない面があるので、はっきりしたことは言えない。ただ、旧約聖書には、モーセとエジプトのファラオがイスラエル人の開放をめぐって争ったとき、さまざまな天変地異が襲ってエジプトの国土を荒廃させたことが記されている。このことに関し興味深いのは、紀元前1400頃にクレタのミノア文明が突如滅んでいることだ。1900年にイギリスのエバンスが、エーゲ海の島であるクレタ島のクノッソスで大宮殿を発掘しているが、宮殿の面積は約2400平方メートルもあり、最盛期の人口は、周辺部を含めて約8万という巨大な王国であったことが判明している。また、クノッソス宮殿の構造は、まさしく出口のないラビリンスを思わせ、怪物ミノタウロスの伝説を彷彿とさせる。

 興味深いのは、クノッソス宮殿が地震の際の火事によって崩壊したらしい証拠が発見されていることだ。これは何らかの天変地異が突如クレタ島を襲い、繁栄を享受していたミノア文明を断絶させたことを示唆している。このことを裏付けるかのように、1939年、ギリシャの考古学者マリナトスが宮殿を調査した結果、宮殿の崩壊がこれまで考えられてきた地震だけではなく、津波によるものでもあることを発見しているのだ!さらに彼は、クレタ島の北岸に厚い火山灰が積もっていることを見出し、ミノア王国を滅ぼした原因が、火山活動・地震・津波などの巨大な天変地異であることを証明した。クレタ島に最も近い活火山は、クレタの北約100キロのところにあるサントリニ島にある。

ガラノプロスが描いたサントリーニ島の地図

 そして実際、1956年にアテネ大学の地震学教授ガラノプロスがサントリニ島を訪れて調査した結果、2箇所に切れ目が入ったドーナツ状という奇怪な島の形状は、火山噴火で出来た巨大なカルデラに水が溜まった状態であることが分かった。島の大部分が陥没してしまうほどの大噴火であるから、かつてない巨大な津波が発生したことであろうことは想像に難くない。サントリニ島の火山噴火に伴う地震、火山灰、カルデラ、津波、こういった天変地異がミノア王国を滅ぼした――それがガラノプロスの結論であった。それはまた、マリナトスの考えとも符合している。ちなみに、この大災害の約1000年後に現れた哲学者プラトンは、その頃まだおぼろげに伝えられていたであろうこの歴史的事実を基礎にして、伝説のアトランティス物語を書き上げた。

 アトランティスの詳細については別項を参照願いたいが、ようは千年後の伝説に語られるほど、当時の人々にとっては恐ろしく印象的な出来事だったということだ。そして、ここにさらに興味深い事実が存在する。それはギリシャの詩人たちに語り継がれたトロイ戦争が起こったのが、紀元前1200年頃だったということだ。トロイ戦争には、ゼウスやアテナ、ポセイドン、アレスなどの神々が、空から雷を落して山を裂いたり、岩を粉々に砕いた話、凄まじい暴風や津波、そして炎を起こしたという話がたくさん出てくる。サントリニ島が噴火した前1400年頃とトロイ戦争の1200年頃では200年もの歳月が過ぎているはないかという指摘も当然あるだろう。

 しかし、サントリニ島の噴火時期は、焼けた松の木の欠片を炭素14法で調べた結果判明したものなので、多少の誤差は目をつぶることができる。一方、聖書学者たちは、エジプトのファラオがイスラエル人たちに命じて倉庫の町ラメセスを建てさせたという聖書の記述から、出エジプトが起こったのは第19王朝のラムセス二世(在位紀元前約1290−前1225)の時代と特定している。だとすれば、サントリニ島の大噴火やトロイ戦争が起こったのもラムセス二世の治世だったとは考えられないか。さらに、一般に古代核戦争を描いたとされる『マハーバーラタ』のバーラタ戦争が勃発したのも、ちょうどこの頃なのである。もしこれらの大災変が同じ出来事を記したものならば、当時地球規模の巨大な天変地異が世界各地を襲ったことになる……

◆ティフォン彗星

 歴史に残る博物学者プリニウスの著した『自然誌』第二巻九一節には、エチオピアとエジプトの国民は恐ろしい彗星を見、これに当時の王の名ティフォンをつけた。これは火のような外観を呈し、コイルのようにねじれ、見るも恐ろしかった。実際に星というよりも、火の玉という方が適切であった、と記されている。同じく、年代記作家ヘヴェリウスは自著『コメトグラフィア』の中で同じ事件について触れ、次のように述べている。世界年2453の年に(前1495年)ある学者たちによると、一彗星が円盤形をなしてヨー宿にいるのが、シリア、バビロニア、インドで見られた。時あたかもイスラエル人が、エジプトから約束された地に向かって出発する時であった。

 古代の学者中では、プリニウスやヘヴェリウスの他に、ロッケンバッハ、リズス、セルヴィウス、ヘファエスティフォン、ユンクティヌスらが、この不気味な彗星について書き記している。ティフォン(ギリシア神話に登場する巨大な龍)と呼ばれたこの不気味な彗星は、巨大な火の玉、あるいは鎌として描写され、運動は遅く、経路は太陽に近かったという。その色は血のようであり、ある年代記作家などは、火のような赤さではなく、血の赤さであったと記している。さらに無視できないのは、ティフォン彗星が多くの災厄を引き起こしたと語り伝えられていることである。その詳細についてはローマの占星術家カンペスター、およびペトリシウスの研究の中に記録されていたそうであるが、現在まで伝わっていない。

ティアマト

 しかし、リズスの抜粋によれば、彼らはティフォン彗星が再び地球に接近すれば世界を破壊するであろうと確信していたという。逆に言えば、ティフォン彗星との第一回の遭遇において、すでに地球は破滅的な天変地異を蒙っていたことを暗示している。ギリシアの龍ティフォン(テューポーン)の詳細に関しては、アポロドーロスの『ビブリオテーケー』にも記録されている。彼はその大きさと力において大地が生んだすべてのものに優り…中略…すべての山よりも高く、頭はしばしば星を摩した。彼の手は一方は延ばすと西に、他方は東にとどき、百の竜の頭がそこから出ていた。腿から下の部分は巨大な毒蛇のとぐろを巻いた形になっていて、それを延ばすと自分の頭に達し、シュウシュウと大音を放っていた。

 彼の全身には羽が生え…中略…眼より火を放っていた。テューポーンはこのようであり、このように大きく、火のついた岩を投げつつ、シュウシュウと音を立て、叫びながら、天そのものへと突進した。
ティフォンはバビロニアではティアマト、エジプトではセト、ユダヤではレビヤタンとも呼ばれている。その正体は天空に輝く巨大な彗星であった。ただし、ただの彗星ではない。約4000年前に誕生し、超楕円軌道を描きながら天空を疾走。全世界を幾度も壊滅的危機に陥れた原始天体――その名は金星である!金星が古代において彗星として扱われていたことは、すでに別項で説明した。金星は前900年頃に火星とニアミスし、現在の円軌道を獲得。しかし、それより遥か以前、金星は地球との大接近を果たしていたのだ!

◆血の災い

 モーセとアロンは、主の命じられたとおりにした。彼は杖を振り上げて、ファラオとその家臣の前でナイル川の水を打った。川の水はことごとく血に変り、川の魚は死に、川は悪臭を放ち、エジプト人はナイル川の水を飲めなくなった。こうしてエジプトの国中が地に浸った。(出7:20−21)

 モーゼの十災として知られる最初の災変は“血の災い”であった。セルヴィウズがその色を「炎の赤さじゃない、血の赤さだ」と形容したティフォン彗星の原始大気には、大量の塵やダストが含まれていた。おそらく、原始惑星であるがゆえに膨大な量のガスを噴出し、その中には鉄分を含んだ赤い成分も含まれていたのだろう。『パピルス・イプワー』の中にも「災害は全土にくまなく、血は至るところにあり」(2:5−6)「河は血となる」(2:10)とある。また、出エジプト記にエジプト人は皆、飲み水を求めて、ナイル川の周りを掘った。ナイル川の水が飲めなくなったからである(7:24)とあるのに符合して、パピルスには「人間は真水を渇望した」(2:10)「これが我々の水!これが我々の幸福!」とある。

 パピルス・イプワーはイプワー(イプウェル)と呼ばれる賢人が、怠惰な王に対して語った誡めの言葉、すなわち予言であるとされる。しかし、そこに記された災変はヘブライ側の記録(旧約聖書の出エジプト記)との間に多くの共通点が見出され、すべてが偶然とは思われない。イプアーの正体は古王国時代にエジプトに滞在していたセム系の預言者である可能性が高いが、詳しいことは何とも言えない。一方で、同様の天変地異は、世界各地の古代伝承や神話伝説の中にも語られており、血の災いが決してエジプト一国に限られた局地的な災いではなかったことを窺わせる。例えばフィンランドの叙事詩『カレワラ』には、かつて三人の女精が舞い降り、全地に、湿地に、池にも、赤い乳を撒き散らしたことが記されている。

 そのときのイルマリネン(カレワラの主人公)の悲痛な叫びは次ぎの如くにある。「血よ、流れ出るのを止めよ、血潮よ、迸るのを、わたしの上に浴びせかかるのを、わたしの胸に振りかかるのをやめよ!」また、バビロニアの神話では、天魔ティアマトが斬られた時に、世界が血で赤く彩られたとある。ティアマトが天空を駆けた龍であり、ティフォン彗星の別名であったことは先述した。さらに、ギリシアの怪竜ティフォン自身にも『ビブリオテーケー』の中に次ぎのような逸話が残されている。(ティフォンは)ハイモス山で戦闘中にその全山脈を持ち上げた。しかし山が(ゼウスの)雷霆に撃たれて再び彼の上に押し付けられたので、山上に多量の血が迸り出た。この故事よりこの山はハイモスと名づけられたのであると言うことである。

◆害虫と疫病の災い

 アロンがエジプトの水の上に手を差し伸べると、蛙が這い上がってきてエジプトの国を覆った。…中略…蛙は家からも庭からも畑からも死に絶えた。人々はその死骸を幾山にも積み上げたので、国中に悪臭が満ちた。(出8:2−10)アロンが杖を持った手を差し伸べ土の塵を打つと、土の塵はすべてぶよとなり、エジプト全土に広がって人と家畜を襲った。(8:13)主がそのとおり行なわれたので、あぶの大群がファラオの王宮や家臣の家に入り、エジプトの全土に及んだ。国はあぶのゆえに荒れ果てた。(8:20)

 ティフォン彗星から地球に降り注いだ大量のダストは、河川や水路のみならず、エジプトの国中を真赤な血の色に染めた。そのことは、エジプトの国中、木や石までも血に浸るであろう(出7:19)、とあることで分かる。こうなるとエジプトの正常な生態系は破壊され、それまで棲んでいた生物――特に、真赤に汚染されたナイル川の水棲生物――は大量に死滅する。その死骸は川面に浮かんだり岸辺に打ち上げられたりして、国中を悪臭で満たしながら腐敗したことだろう。大量の生物の死骸はうじ虫の食料となり、ブヨやアブの異常繁殖を引き起こした。さらに、池や水溜が汚染されたことで、蛙などの両生類が大量に河から陸に上がり、やがて乾燥から死に至ったのだ。

 見よ、主の手が甚だ恐ろしい疫病を野にいるあなたの家畜、馬、ろば、らくだ、牛、羊に臨ませる。しかし主は、イスラエルの家畜とエジプトの家畜とを区別される。…中略…翌日、主はこの事を行なわれたので、エジプト人の家畜はすべて死んだが、イスラエルの家畜は一頭も死ななかった。(出9:3−6)二人はかまどのすすを取ってファラオの前に立ち、モーセがそれを天に向かってまき散らした。すると、膿の出るはれ物が人と家畜に生じた。(9:10)

 先の災いによって大量に死滅した魚介類や動植物の遺骸には無数の細菌が繁殖し、さらには疫病をもたらす病原菌が発生。やがて家畜にまで伝染したものと考えられる。しかし、家畜のみならず人間をも撃ったというもう一つの疫病の場合は、少し状況が違う。旧約聖書には、それはエジプト全土を覆う細かい塵となって、エジプト全土の人と家畜に降りかかり、膿の出るはれ物となるであろう(出9:9)とある。この部分を読む限り、病気の原因は天から降り注いだとしか考えられない。すなわち、ティフォン彗星が直接、病原菌をもたらしたのだ!ホシは空気感染のウイルスであると考えてよく、原始天体である金星が地球の側を通過した際にウイルスをまき散らしたものと推測される。実際、彗星の飛来時期とウイルスの大流行には一定の相関関係が見つかっている。

◆燃える雹の災い

 モーセが天に向かって杖を差し伸べると、主は雷と雹を下され、稲妻が大地に向かって走った。主はエジプトの地に雹を降らせられた。雹が降り、その間を絶え間なく稲妻が走った。それは甚だ激しく、このような雹が全土に降ったことは、エジプトの国始まって以来かつてなかったほどであった。雹は、エジプト全土で野にいるすべてのもの、人も家畜も残らず打った。雹はまた、野のあらゆる草を打ち、野のすべての木を打ち砕いた。(出9:23−25)

 “雹”はヘブライ語の“バラド”を訳したものだが、天から降る大石の意味でも用いられており、大気圏との摩擦で燃え上がった隕石や宇宙塵を指すとも解釈できる。実際、古代ユダヤの注解書『ミドラシュ』や『タルムード』には、エジプトに降った石は熱かったと伝えられている。灼熱の雹はすべての木や草、果実を打ち、亜麻も大麦も残さなかったとあるが、これに対応する記述として、パピルス・イプアーには、「木々は打ち折られた」(4:14)「果物一つも、草一本も見つからなかった」(6:1)とある。さらに、「ああ、どこへ行っても穀物は枯れ果てた」(6:3)「亜麻の断裁後のように、国土は疲労の中に取り残される。」(5:11)とあるのは、イナゴの災いを彷彿とさせる。

 モーセがエジプトの地に杖を差し伸べると、主はまる一昼夜、東風を吹かせられた。朝になると、東風がいなごの大群を運んで来た。いなごは、エジプト全土を襲い、エジプトの領土全体にとどまった。このようにおびただしいいなごの大群は前にも後にもなかった。いなごが地の面をすべて覆ったので、地は暗くなった。いなごは地のあらゆる草、雹の害を免れた木の実をすべて食い尽くしたので、木であれ、野の草であれ、エジプト全土のどこにも緑のものはなに一つ残らなかった。

 イナゴの異常発生は現代のエジプトにおいても決して珍しいものではない。特に、イナゴの大移動は火山の噴火と関係してよく起こることがある。その意味で、血の災いは火山灰による河川の汚染である可能性も高いし、火の閃きは噴火であるとも考えられる。ただし、それが決して局地的な現象ではなかったことは、世界の神話伝説が証明してくれる。マヤの聖なる書『ポポル・ヴフ』は、木の棒で創られた人間たちを滅ぼすために創造主が引き起こした天変地異について次ぎのように述べる。天から樹脂がおびただしく降ってきた。…中略…そしてそのために、地の面は暗くかげり、黒い雨が昼となく夜となく降りはじめたのである。黒い雨の正体であるが、樹脂で表現されているように燃える水こと石油である可能性が高い。

 金星大気の大部分を占める二酸化炭素と地球の水素が絶え間ない放電現象によって化学変化を起こし、石油が生成されたのではないかという仮説だ。クアウティトラン年代記にも、火の雨により終焉を迎えた年代があったことが記されており、キアウ・トナティウ(火の雨の太陽)と呼ばれている。パピルス・イプアーにも、「門も柱も壁も火で焼き尽くされた」(2:10)とあり、ミドラシュには主はナフタを彼らの上に降らしめ、水泡(腫れ物)を焼いた、とある。ナフタとはヘブライ語で石油を意味する言葉なのである。聖書外典『ソロモンの知恵』によれば、エジプトの国民は時ならぬ雨や雹、それに無常な嵐に悩まされ、火で焼き尽くされてしまった。すべてを消す水の中でも不思議なことにその火はますます強くなる(16:16−17)

 水の中で燃える火とはまさしく石油の性質である。シエサ・デ・レオンはエクアドルのサンタ・エレナにおいて、インディオたちから耳にした古い伝説を『ペルー年代記』の中に書き残している。それによると、遠い昔、巨人族がバルサ材の船に乗ってアメリカ大陸に上陸した。しかし、巨人族は原住民に対して多くの悪を働いたため神は彼らに罰を下された。天空から身の毛もよだつ、恐ろしい火の塊が轟音とともに降ってきたのだ。巨人族はその業火ですべて焼き尽くされ、後には僅かな骨だけが残された……東インドの先住民も、遥か昔に“火の水”が空から降って、ほんのわずかな人だけを残し、すべての人が死んだと伝えている。しかし、空から降った火はなにも隕石や石油ばかりではなっかた。このことに関しては後編で説明する。

 


 燃える雹の災いに関しては意訳の混入した新共同訳聖書の本文よりも学術的な私訳(関根正雄訳,岩波文庫)の方が状況を正しく説明しているかもしれない。「モーセはその杖を天に向かって伸ばした。するとヤハウェは雷鳴と雹を下し、火が地上に降ってきた。ヤハウェはエジプトの地に雹を降らせた。雹はさらにそのうちに火がきらめいて、エジプトの全土に、民が住んで以来これ程はげしいものはなかった。」(出10:23−24)


 


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